長岡京は、山城国乙訓郡にあった奈良時代末期(または平安時代初期)の都城(現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区)。784年に第50代桓武天皇により平城京から遷都され、794年に平安京に遷都されるまで日本の都でした。
桓武天皇は、長岡京を新しい都としようとしますが、造営を担当していた藤原式家の藤原種継が暗殺されたり、河川の氾濫がやまず、餓死した皇太弟早良親王のタタリも噂されたことから、和気清麻呂の発議によって、平安京への移転が決定されました。長岡京は解体されることになります。
一方、「長岡」という地名はそのまま残り、第二次世界大戦後の1949年には周辺3村町合併で「長岡町」、1972年の市制施行で「長岡京市」となり、現在では、行政区域名で「長岡京」の名前が復活しました。