己酉約条(きゆうやくじょう)とは、慶長14年(1609年)、対馬の宗氏と李氏朝鮮の間で結ばれた全12条の条約です。己酉とは、条約締結年の干支です。日本の当時の元号から慶長条約とも呼ばれます。豊臣秀吉の朝鮮出兵以降、当然ながら日本と朝鮮の国交は断絶状態でした。しかし、日本側の政権が豊臣家から徳川家康に移行し、1605年に朝鮮との講和が実現し、1609年に条約が締結されました。これにより、断絶していた朝鮮との貿易が再開されることになりました。内容は、対馬から朝鮮に渡航する使者の資格や、歳遣船数を20隻に制限すること、港は釜山に限定し倭館で取引すること、日本人の漢城への出入り禁止などについて定められています。明治初期の対馬藩の版籍奉還まで効力を持つことになります。
ざっくり用語解説
己酉約条
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