大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)は、江戸時代後期の伊勢国(現在の三重県)の港を拠点とした回船(運輸船)の船頭です。天明2年(1782年)、嵐のため江戸へ向かう途中で漂流し、アリューシャン列島(当時はロシア領アラスカの一部)のアムチトカ島に漂着。ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世に謁見して帰国を願い出、漂流から約9年半後の寛政4年(1792年)に根室港入りして帰国しました。
幕府老中の松平定信は光太夫を用いてロシアとの交渉を考えていましたが、失脚。その後、光太夫は江戸で屋敷を与えられ、数少ない異国見聞者として蘭学者と交流し、蘭学発展に寄与しました。