綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)は、828年に空海が庶民教育や各種学芸の綜合的教育を目的に、京都の左京九条の邸宅に設置した私立学校。「綜芸」とは、各種の学芸を綜合するという意味。
この時代、中央の教育機関であった「大学」は主に貴族向けの、地方の教育機関であった「国学」は郡司の子弟を対象とするなど身分制限がありました。庶民に全く開放されていなかったわけではありませんが、現実的に考えて、極めて狭き門でした。また、大学・国学では主に儒教を専門とした教育であったため、仏教・道教などは扱っておらず、一方、寺院においても仏教のみの教育で、儒教などの世俗の学問を扱っていませんでした。いうなれば、身分制に基づいた専科学校しかない状況だったわけです。
空海は、こうした現状を打破しようと、828年に「綜芸種智院式并序」(『性霊集』巻十)を著して、身分貧富に関わりなく学ぶことのできる教育施設、儒教・仏教・道教などあらゆる思想・学芸を総合的に学ぶことのできる教育施設の設立を天皇、大貴族、高僧らをはじめ、広く世間に支持・協力を呼びかけたのでした。
ただ、実際に空海の構想がどこまで実現されたかは明らかでない部分が多く、綜芸種智院の設立自体を疑問視する見解もあります。綜芸種智院が実際に設立されたとしても、空海の死後10年ほど経た845年に弟子たちによって売却、廃絶されました。