十月事件(じゅうがつじけん)とは、1931年10月の決行を目標として日本陸軍の中堅幹部によって計画された政変未遂事件です。1931年9月18日深夜の柳条湖事件に端を発して満州事変が勃発しましたが、日本政府は「不拡大方針」を取ります。しかし、陸軍急進派はこの決定を不服とし、三月事件にも関わった橋本らの桜会が中心となり、大川周明・北一輝らの一派と共に満州事変に呼応した政変を計画したのです。
三月事件の失敗からの反省で、陸軍上層部には秘匿しながら計画を進めていましたが、1931年10月16日には情報が洩れ、翌17日に橋本欣五郎ら中心人物が一斉検挙されました。
十月事件首謀者に対する責任の追及は極刑論も一部ありましたが、諸勢力の思惑が混在した結果、曖昧なままにされることとなりました。橋本は重謹慎20日、その他のメンバーも数日間の謹慎、地方や満州への転勤などの軽いものでした。
計画者らは軽い処分で終わりましたが、この十月事件を受けて、若槻内閣が倒れて犬養毅内閣が成立しました。その他、陸軍は頼りにならんと思った民間右翼が自分たちで何とかしなければという思想が強くなり、後の血盟団事件へと発展していくことになりました。