林羅山(はやし らざん)は、江戸時代初期の朱子学派儒学者で、林家(りんけ、と読みます)の祖です。羅山は号で出家した後の号、道春(どうしゅん)の名でも知られています。
幼少のころから秀才と謳われて、仏教を学びましたが僧籍に入ることを拒否し、その後はもっぱら儒学に親しみ、朱子学の研究に勤しみました。独学を進めるうちに、朱子学に熱中して藤原惺窩と出会いさらにその才能に磨きをかけました。羅山の英邁さを買った惺窩は、1605年に自分の代わりに彼を徳川家康に推挙しました。羅山は家康に認められて若干23歳で天下人のブレーンとなったのです。その後、2代・秀忠、3代・家光、4代・家綱と江戸幕府四将軍に仕えて、初期の江戸幕府の土台作りに大きく関わって、様々な制度・儀礼などのルールを定めていきました。
師である惺窩とは違って、儒学・神道以外の全てを廃して、朱子学の発展と儒学の官学化に貢献をしました。以後、林家は代々幕府の教学責任者としての役割を担いました。