元々、GHQは日本政府に自主的に憲法を改正させようとしました。幣原喜重郎内閣は憲法問題調査委員会(委員長:松本烝治、委員には美濃部達吉など)を設置し、明治憲法を一部修正した松本案を1946年2月に提示しました。しかし、この案では民主化が不徹底であり、この案では極東委員会から天皇制の廃止を要求されるおそれがあるとして、GHQが憲法草案を起草することにしました。
まず、1946年2月3日にマッカーサー三原則(天皇は国家元首、戦争放棄、皇族以外の華族は認めない)を停止時、これに基づいて2月13日にGHQ草案が日本政府に提示されました。
そこに修正を施して、日本国憲法が成立しました。