義和団の乱(ぎわだんのらん)は、1900年に勃発した清朝末期の動乱です。北清事変(ほくしんじへん)などとも呼ばれます。「扶清滅洋」を叫ぶ宗教的秘密結社「義和拳教」による排外主義の運動が展開され、実際に西洋列強に対して一時的に優位な状況が生み出されました。それを見て清国の西太后がこの叛乱を支持して1900年6月21日に欧米列国に宣戦布告したため国家間戦争となりました。しかし、宣戦布告後2カ月も経たないうちに、北京の公使館員や居留民保護のため八カ国連合軍(日本・イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・オーストリア・イタリア・ロシア)が北京に進出し、連合軍の前に鎮圧されました。西太后は紫禁城を脱出して西安に逃げ込みました。李鴻章が後始末を命じられて列強との間に「北京議定書」を締結しました。