中国国内が軍閥などの諸勢力に分裂しているなか、蒋介石率いる中国国民党による北伐が進められていましたが、日本として中国には干渉せずに推移を見守る政策を若槻首相・幣原外相はとったということです。それでは中国における日本の権益を守ることができない!と軍部のみならず民間や大衆も含めて反発が強く起きてしまいました。不景気でしたからね。
大正デモクラシー|国際協調の理想と挫折第一次世界大戦の終結をきっかけに、日本は国際社会での存在感を強めていきました。 \ 国際協調と民主主義の理想を掲げ、政治や外交の面で大きな転換期を迎えます。 国際連盟への加盟と、協調外交の推進 政党内閣の成立と「憲政の常道」 普通選挙法の制定による選挙権の拡大 ワシントン体制下での軍縮と平和への期待 一方で、経済の混乱や社会不安がその理想を揺さぶり、国際情勢の変化とともに協調路線は行き詰まっていきます。 \ 激動の時代、大正デモクラシーの光と影を、ラジレキが独自解説します。 13.第一次世界大戦 #32