土佐派は、純日本的ないわゆる大和絵の伝法を樹立し、14世紀南北朝時代から室町時代のおよそ200年の長きにわたって朝廷の絵所を世襲し、伝統と権勢を誇った画派です。しかし、織豊政権の頃になると狩野派の躍進を受け土佐派の勢いは減速。一時は狩野派の下請け業者同然にまで衰退しますが、江戸時代に流派再興がなされ、以後幕末までその地位を維持しました。丁寧で繊細な作風が特徴で、土佐派は朝廷の御用絵師という立場上、浮世絵に対し否定的でしたが、浮世絵師にとって土佐派が描く日本の伝統的なモチーフは、画題や様式の基盤であり、浮世絵を正統たらしめる大義、拠り所でありました。浮世絵の祖といわれる菱川師宣(見返り美人図で有名)も他の流派にならんで土佐派を学んだことに言及しています。