姓を与えるという権限は、朝廷の重要な機能です。普通、織田信長でも「平」の姓や徳川家康でも「源」の姓を持っていました。しかし、最下層の農民出身の秀吉には、苗字はあっても姓がありませんでした。そして、ここがポイントですが、誰かの姓を使うとなると、その姓の「氏長者」という偉い人がいるわけです。たとえば、「藤原」の姓を名乗るとしたら、その藤原一族の中で一番偉いのは、官位とかは別に藤原氏のトップの人になるわけです。そういったことを嫌がってなのか、新しい姓をもらったんでしょう。しかし、朝廷も凄い姓を与えたもんです「豊臣」ってめっちゃ成り上がり感満載な感じがしませんか?ちょっとすごく派手派手しいでうしょね。でも朝廷としてはちゃっかりと「お前はどんなに豊かで成り上がったとしても、あくまでも臣下なんだぞ」という念押しの感じも読み取れて面白いもんですね。
ざっくり用語解説
朝廷から「豊臣」の姓をあたえられる
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