武田信玄(たけだ しんげん、晴信(はるのぶ)は、戦国時代の武将です。信玄は出家後の僧侶としての名前で、本名が晴信ですね。「晴」の字は、12代将軍足利義晴からもらいました。武田氏は清和源氏の名門で、鎌倉時代以前から甲斐(山梨県)の有力一族でした。
守護大名から戦国大名へと発展し、武田信玄の時代になると、甲斐からさらに隣国・信濃(長野県)を手中に収めていきます。信濃進出の過程で、越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争をしました。最盛期には、甲斐本国に信濃を加え、さらに駿河・西上野(群馬県)および遠江(静岡県西部)・三河(愛知県東部)・美濃(岐阜県南部)・飛騨(岐阜県北部)などの一部を領するほどでした。1573年に京都に向かう西上作戦の途上に三河で病を発し、没しました。
非常に戦争に強く、織田信長・徳川家康の連合軍を三方ヶ原の戦いで武田信玄が蹴散らした際には、徳川家康がビビり散らかして、うんこを漏らしたという逸話が残っています。