五・一五事件は、1932(昭和7)年5月15日,満州国承認に反対の立場をとっていた犬養毅首相が、海軍将校によって暗殺された事件です。これにより第2次護憲運動以後続いていた「憲政の常 道」とよばれた政党政治に終止符が打たれました。後継の斎藤実(海軍出身)内閣は満州国を承認しましたが、国際連盟はこれを認めず、そのため日本は国際連盟を脱退し、国際的な孤立を深めていくことになります。なお、五・一五事件では、首相官邸だけでなく、警視庁,政友会本部などが襲撃されました。
大正デモクラシー|国際協調の理想と挫折第一次世界大戦の終結をきっかけに、日本は国際社会での存在感を強めていきました。 \ 国際協調と民主主義の理想を掲げ、政治や外交の面で大きな転換期を迎えます。 国際連盟への加盟と、協調外交の推進 政党内閣の成立と「憲政の常道」 普通選挙法の制定による選挙権の拡大 ワシントン体制下での軍縮と平和への期待 一方で、経済の混乱や社会不安がその理想を揺さぶり、国際情勢の変化とともに協調路線は行き詰まっていきます。 \ 激動の時代、大正デモクラシーの光と影を、ラジレキが独自解説します。 13.第一次世界大戦 #32