徳川家重(とくがわ いえしげ)は、江戸幕府第9代将軍(在任:1745年-1760年)です。徳川吉宗の長男です。しかし、家重は生来虚弱の上、障害により言語が不明瞭でした。一方、異母弟の徳川宗武(田安徳川家の祖)は文武両道だったため、家重は、一時、将軍後継者として相応しくないと「廃嫡(後継者から外されること)」の危機にありました。家重廃嫡・宗武擁立の動きがあることを知った父・吉宗は将軍家の後継者争いは幕府にとって遺恨を残すと考え、家重に将軍職を譲って第9代将軍に就任させ、自らは大御所として後見しました。
吉宗は、才能云々で次男などに家督を渡してしまうと相続における長幼の順が乱れてしまい、この規律を守らないと兄弟や徳川御三家などの親族さらに派閥家臣らによる後継者争いが権力の乱れを産んでしまうと考えました。皆さん、ここで応仁の乱などの原因を思い出してください。室町時代は家督相続のルールが明確ではなかったため、争いが生じてしまっていました。まさに歴史に学んだわけです。一方、家重の長男・家治(吉宗にとってはカワイイ孫ですね)が、非常に聡明であったことから、次世代に期待ができるという判断もあったとされます。
徳川家重は、言語不明瞭という「障害」のせいで馬鹿者扱いされることが多いですが、側用人制度を復活させた。田沼意次を大名に取り立て田沼意次の重用を家治に遺言します。人を見る目はあった聡明な人だったんじゃないかなと僕は思っています。