1808年のフェートン号事件を受けて、大きな屈辱を受けた鍋島藩(佐賀藩)は、大砲の鋳造に成功します。普通に考えたら、強力な武器を造ることは幕府から見たら謀反の準備をしているとも捉えられて、鍋島藩としてはとっても危険な行為なんですが、フェートン号事件で「お前ら弛んどる!」と叱責しておいて、武備を整えて怒られるいわれはないので、さきがけて大砲鋳造がある意味、許可され成功したとも捉えることができます。
この大砲などの工業力を背景に、幕末において鍋島藩(佐賀藩)は、一躍雄藩の一角として活躍するのでした。