1931年9月18日夜、奉天(瀋陽)郊外の柳条湖の南満州鉄道線路で爆薬が爆発。関東軍の自作自演でしたが、関東軍はこれを中国軍によるものとして軍事行動を開始し、満州事変が始まりました。第2次若槻礼次郎内閣は、9月24日に「領土的欲望」を否定する、いわゆる「不拡大方針」を閣議決定し、発表しました。この閣議決定を前提として、参謀本部は翌25日、「満州新政権樹立」を目的とする要員の現地派遣を参謀総長の意思により中止しました。出先機関である関東軍が中央政府・軍中央の意向を無視して現地で突っ走っていったわけです。