八幡製鉄所(やはたせいてつしょ)は、1901年(明治34年)の明治時代に操業を開始した福岡県北九州市の製鉄所。1887年(明治20年)に操業を開始した釜石鉱山田中製鉄所(岩手県釜石市)に続いて、日本国内で2番目の製鉄所です。第二次世界大戦前には日本の鉄鋼生産量の過半を製造する国内随一の製鉄所でした。現在は後身企業のひとつである日本製鉄の九州製鉄所八幡地区の一部となっています。また、2015年には、旧本事務所、修繕工場、旧鍛冶工場(福岡県北九州市)、および遠賀川水源地ポンプ室(福岡県中間市)の4資産が「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(全23資産)の構成資産として世界遺産に登録されました。
もともと、明治政府の殖産興業のスローガンのもとで、日清戦争の前から製鉄所の国内建設が要望されていました。第1次松方内閣が1891年(明治24年)の第二回帝国議会に建設予算を提出しましたが、莫大な予算がかかることから否決。日清戦争後の1896年(明治29年)の日本国内の鉄需要のほとんどを海外からの輸入に頼っていた状態でした。
日清戦争勝利によって多額の賠償金が入ってくると、その一部を使って製鉄所の建設を進めることとなり、建設されました。