日本社会党は、単独講和論と全面講和論で二つに分かれ、左派社会党と右派社会党に1951年10月に分裂しました。二つに分裂したことから党勢に陰りが見え、分裂したきっかけとなった講和問題は、結局、サンフランシスコ条約が締結されたことからイシューとしては無くなったこともあり、1955年10月に統一されました。