下地中分(したじちゅうぶん)とは、鎌倉時代から南北朝時代までを中心に行われた土地の分割を指し示す用語です。荘園の支配や権利は、平安時代から重層的に入り組んでしまっていて、ややこしいことになっていました。この支配・権利関係を一元化することが求められていました。下地とは、土地自体のことを指しています(それに対して上分(じょうぶん)は、土地から発生する収益のこと)。この下地を、地頭と領主で折半してしまおうというのが、下地中分です。まあ、荘園領主に対して、地頭の力が強まり、「分かった!折半するから、おれの半分のところには手を出すなよ!」という妥協案ですね。ちなみに必ずしも折半ではなく、三分の一と三分の二に分けるとかのケースもあるため、「下地分割」とも言われています。
ざっくり用語解説
下地中分
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