天皇の代理を務める役職で、「政治を摂る」からきています。聖徳太子が初めてなったとされており、天皇が女性や幼少の場合に設置されるようになりました。天皇は政治的な権能を保持するにとどまらず、宗教的祭祀を行うことが最重要ですから、女性や幼少の場合だと、できない行事もあるゆえに設置されたものと考えられています。特に古代日本では、「血の穢れ」というものに敏感でしたので、女性の月のものがあるタイミングでは、女性天皇では実施できない行事がある際などに摂政が代行するということになります。
その後、摂政といったら、「天皇が女性や幼少の場合に、政治を代行する」という意味合いの役職となっていきました。現代にも摂政の役職は残っており、日本国憲法第5条にて定められています。どんな場合に設置するかは、皇室典範第16条に記載されており、「天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。また、天皇が、精神・身体の重患か重大な事故により、国事行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。」とされています。
日本国憲法になってからは設置されていませんが、明治憲法下において、大正天皇の病状悪化を受けて、当時の皇太子(のちの昭和天皇)が、摂政となった事例があります。