大友氏(おおともし)は、武家・士族だった一族で、元々は。鎌倉時代初期に相模国大友郷から興りました。鎌倉時代に豊後国(大分県あたり)大野荘の地頭職や豊後守護に補任され、南北朝時代・室町時代には、豊後国、豊前国、筑後国(3か国まとめて福岡県南部・大分県あたり)を支配する有力守護大名となり、戦国時代には戦国大名への転化に成功しました。大友義鎮(宗麟)の代には、肥前・肥後・筑前(佐賀県・熊本県・福岡県北部)も支配して最盛期を迎えましたが、他の九州の有力大名たちとの争いの中で弱体化し、1587年の豊臣秀吉の九州平定後に所領は豊後一国のみに削減されました。さらに朝鮮出兵の際の不手際のために秀吉の怒りに触れ、1593年に除封(領地召し上げ)されて、大名家としての大友家は終焉しました。江戸時代には高家としてわずかに家名を残し、明治維新を迎えました。