滝廉太郎(たき れんたろう)は、明治の音楽家・ピアニスト・作曲家。日本における西洋音楽黎明期の代表的な音楽家の一人です。明治時代の前半には、西洋の歌唱曲の歌詞を日本語に翻訳した作品はありましたが、その大半はそもそも翻訳を間違えていたり、無関係な歌詞を当てはめたりなどして無理やりに日本語訳詞をはめ込んだ「ぎこちない歌」が多い状況でした。日本人作曲家による日本オリジナルの歌唱曲を望む声が高まっていたなかに現れたのが、滝廉太郎だったのです。滝廉太郎の作品である「荒城の月」や「箱根八里」は文部省編纂の「中学唱歌」に掲載され、「お正月」「鳩ぽっぽ」「雪やこんこん」などは幼稚園唱歌に収められました。日本における西洋音楽の普及や音楽教育に大きな役割を果たした滝廉太郎でしたが、1901年に念願のドイツ留学中に結核に罹患。失意のうちに帰国し、1903年に24年に満たない短い生涯を閉じました。滝廉太郎の最後の曲となった「憾(うらみ)」は「心残りに思うこと」という意味ですが、「恨み」に近いような激しさを持った曲だといわれています。もっと長く生きて活躍したかったという滝廉太郎の無念さを思うと胸が痛みますね。