京極氏(きょうごくし)は、清和源氏とは別系統の宇多源氏佐々木氏の支流で、室町幕府創立に功をあげて近江国など五カ国の守護となり、四職家の一つとして権勢をふるいました。応仁の乱後衰退しましたが、京極高次が豊臣秀吉に仕えて再興。江戸時代にも外様大名家として、複数の藩が生き残りました。明治維新後には、江戸時代大名だった4つの京極家が華族の子爵家に列しました。
ざっくり用語解説
京極
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