山崎闇斎(やまざき あんさい)は、江戸時代前期の儒学者・神道家・思想家です。朱子学の一派である崎門学(きもんがく)の創始者として、また、神道の一派である垂加神道(すいかしんとう)の創始者としても知られます。多くの門人を抱え、優秀な学者を多数輩出したことでも知られています。
朱子学者としては、「崎門学」または「闇斎学」と呼ばれ、君臣の厳格な上下関係を説き、大義名分を重視しました。とりわけ、湯武放伐(徳のないトップは下から倒されても仕方ないこと)を否定して、暴君に対しても忠義を貫くべきだとしたことが特徴的です。
闇斎は朱子学だけでなく神道についても論じて、吉川神道を発展させて「垂加神道」を創始しましたが、そこでも君臣関係を重視しました。
君臣関係を重視した闇斎の思想は、水戸学・国学などとともに、幕末の尊王攘夷思想(特に尊王思想)に大きな影響を与えました。