大逆事件(たいぎゃくじけん)は、明治の一大事件で、明治天皇の暗殺計画が発覚したことを発端に、全国の社会主義者や無政府主義者を逮捕・起訴して死刑や有期刑判決を下した政治的弾圧・冤罪事件です。幸徳秋水が死刑に処せられたことから、幸徳事件とも呼ばれます。
日本国内だけでなく、海外にも大きな反響を呼び、判決の2ヶ月前の1910年(明治43年)11月22日、アメリカ合衆国の無政府主義者であるエマ・ゴールドマンらが一連の事件についてニューヨークで集会を開くなどの抗議運動を展開しました。さらにイギリスやフランスでも無政府主義者による抗議運動が現地の日本大使館前で行われました。
しかし、警察や政府によるでっち上げによって幸徳秋水をはじめとする多数の社会主義者・無政府主義者の逮捕者は、証拠不十分のまま1911年(明治44年)1月18日に24名へ死刑、2名へ有期刑の判決が下りました。死刑となった24名のうち、1月24日に幸徳秋水を含む11名、翌日に管野の死刑が執行されました。