1982年7月30日、国の財政再建を議論する臨調(第二次臨時行政調査会、会長は土光敏夫)が、国鉄・電電公社・日本専売公社を民営化する方針をまとめ、政府に答申しました。経済活動に占める「公」の関与を減らし、財政の健全化と経済の活性化を図るのが狙いでした。
たばこと塩を独占的に販売する日本専売公社が解散してJT(日本たばこ)が発足し、電電公社がNTT(日本電信電話会社)に衣替えしたのは、いずれも1985年4月1日のこと。NTTは1987年2月に上場を果たし、個人投資家の株ブームを作り、バブル経済の一端を担いました。また、民間通信業者の参入で、日本の情報通信産業がその後、急速に拡大していき、現在ではNTT・KDDI・Softbank・楽天がしのぎを削っています。
一方、国鉄は世論の激しい反対もあって民営化が遅れ、1987年4月に今のJR東日本など7社に分割されました。
当時の大方針は「増税なき財政再建」。大胆な改革案には反対論も少なくありませんでした。しかし、臨調の会長を務めた土光敏夫の、清貧を尊ぶ生活スタイルもあって、改革は次第に国民の理解を得ていきました。