慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)は、慶長18年(1613年)に仙台藩主伊達政宗がフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王・フェリペ3世、およびローマ教皇・パウロ5世のもとに派遣した使節のことです。宮城県の牡鹿半島から出帆し、太平洋を渡ってメキシコ・アカプルコに入港。陸路をメキシコシティ経由で、大西洋岸へとうつり、キューバ経由でスペインへと到着しました。その後、ローマなどにも入りました。帰路はアカプルコまでは移動し、その後マニラ経由で1620年に帰国しました。
ざっくり用語解説
慶長遣欧使節
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