1924年に一度、国民党と共産党は連携する第一次国共合作が成立していましたが、1925年に孫文が死去し、1926年に蒋介石が北伐を開始します。1927年に南京に国民政府が成立したあと、4月に上海クーデターによって、蒋介石は共産党を追い出し、国民党と共産党は対立、第一次国共内戦に突入しました。
蔣介石は意欲的に中国の近代化を推進する改革を行います。
一方の毛沢東が指揮する中国共産党も、ソビエト連邦の支援の下、農村を中心として支配領域を広げていき、1931年には江西省に「中華ソビエト共和国臨時政府」を樹立するまでに勢力を拡大していきました。
共産党の勢力伸長を危惧した蒋介石は1930年12月から、共産党に対して5次にわたる大規模な戦闘を展開し、1934年10月には共産党を壊滅寸前の状態にまで追い込みます。共産党は西部奥地のソ連国境に近い延安への逃避行(長征)でしのぎ、西安事件で復活の切っ掛けを掴みました。