行基(ぎょうき)は、飛鳥から奈良時代に活動した仏僧です。民衆への直接布教や社会事業を行いました。当時の仏教は国家に管理されており、僧になるにも朝廷の許可が必要でした。 まして、許可も得ずに布教活動をすることは違法行為。 しかし行基は道端で勝手に布教を行ったため、朝廷から激しい弾圧に遭いました。こういった朝廷の弾圧を受けながらも、民衆の圧倒的な支持を得、その力を結集して逆境を跳ね返しました。その後、大僧正(最高位である大僧正の位は行基が日本で最初)として聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘されました。
しかし、大仏造営中の749年に81歳で死去。朝廷より菩薩の諡号を授けられ、「行基菩薩」と言われるようになりました。