陸奥宗光(むつ むねみつ)は、幕末の和歌山藩(紀州藩)士の子として生まれますが、父は政争に巻き込まれて失脚。一家離散の憂き目にあいます。15歳で江戸に出て儒学を学び、尊王攘夷運動に加わるなかで、坂本竜馬と出会い、勝海舟の設立した神戸の海軍操練所で学びます。以後、竜馬と行動を共にしながら、明治維新を迎えました。
1868年、24歳のとき、明治新政府の外国事務局御用掛となり、ヨーロッパ留学も経験します。外交官として活躍し、第2次伊藤内閣の外務大臣として1894年に日英通商航海条約を締結して、領事裁判権の撤廃(治外法権の廃止)に成功しました。
ちなみに、明治時代の新聞『毎日電報』明治43(1910)年11月7日には、「西洋婦人の見た日本の美男子」という記事があり、駐米公使の未亡人エレン(米国生まれ)が「私が見た日本男子の中の一番美しい方」だと陸奥を評しています。