奥州藤原氏の初代が、清衡。二代目が基衡。そして三代目が秀衡です。三人とも直系相続です。祖父・父・子という関係ですね。三代目秀衡の時代に源平の争乱が起きます。1185年に平氏が滅亡し、奥州藤原氏と源頼朝の間にも緊張が走るようになり、秀衡の死後、秀衡の息子である泰衡は頼朝との和平の道を模索しますが、失敗。1189年に頼朝は奥州に出兵をして、奥州藤原氏は四代目泰衡の代にて滅亡しました。ただ、実質的には三代目秀衡の死を以て滅亡したようなものであるため、奥州藤原氏の栄華を語る場合には、奥州藤原氏三代とこの清衡・基衡・秀衡の三人の名前を挙げることが多いです。
なお、世界遺産に登録されている平泉の中尊寺金色堂には、清衡・基衡・秀衡の三人のミイラ化した遺体と、泰衡の首級が納められています。