野中兼山(のなか けんざん)は、江戸時代初期の土佐藩の家老、儒学者です。谷時中から朱子学を学んで、南学による封建道徳の実践に努めました。多くの改革で藩を助けましたが、その改革は風紀粛清による藩士からの恨みや、過酷な負担を強いたことによる領民からの不興を買ってしまい、失脚。
たとえば風紀粛清では、朝寝坊や酒に酔って人前に出たら罰金というものでした。ルールを取り締まる側としては当たり前のことではありますが、嫌われ役になってしまうのは仕方ないですね。しかし、まあ失脚後には、なんと一族が絶えるまで家族全員が幽閉されてしまいました。男系が絶えるまで幽閉が40年続き、さらにこの間、女児も結婚を許されなかったといいます。
しかし、野中兼山による藩政改革は灌漑、築港、社会・風教改革、各種産業の奨励など多岐に亘り、その結果、土佐藩の財政は好転していき、遠く幕末における土佐藩の活躍に繋がる礎を築いたといえます。