親藩(しんぱん)は、江戸時代の藩の分類の一つで、徳川家康の子孫が始祖となっている徳川一門を指します。特に、徳川姓を名乗った御三家・御三卿の当主は家康の男系男子・子孫に限られ、将軍家の血筋が絶えた場合などに、将軍を出す役割を担いました。御三家・御三卿以外の親藩に連なるその他の家は松平姓を名乗りました。松平姓の親藩としては、たとえば、家康の次男秀康の系統の越前松平家、秀忠の傍系男子の系統の会津松平家や、家康の女系男子・子孫である奥平松平家、家康の異父弟・子孫である久松松平家(伊予松山藩主と、伊勢桑名藩主の系統)、徳川家光・徳川綱吉の正室の実家鷹司家の出身である鷹司松平家などがあります。
ざっくり用語解説
親藩
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