源信(みなもと の まこと)は、平安時代初期から前期にかけての公卿。嵯峨天皇の子(嵯峨第一源氏)です。嵯峨天皇は子だくさんであったため、皇室財政がひっ迫することを懸念して、皇子たちに「源」姓を付与して、臣籍降下しました。嵯峨天皇の息子ということもあり、貴族社会でも有数の血統ですから、順調に出世をして良房の次点となる左大臣の地位にまで昇進します。しかし、応天門の変では、陰謀の嫌疑をかけられ、自宅が包囲されるという目にあって非常なショックを受けました。以後、無実となったあとも門を閉じて自宅に引っ込んでいましたが、869年2月に気分転換のために狩猟に出かけたら、そこで落馬。意識不明のまま数日後に死去しました。
ざっくり用語解説
源信
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