正徳金とは、正徳4年5月15日(1714年6月26日)より通用開始された正徳小判および正徳一分判の総称。それまで元禄時代において、日本の小判は金の含有量を減らして通貨供給量を増やしていました。しかし、対外貿易である朝鮮貿易の中で、貨幣の質が落ちたものでは受け取ってもらえず、朝鮮貿易用に新たに鋳造をする必要が生じてしまいました。この事情を踏まえて、新井白石は「国辱もんや!」「貨幣の質を上げないといけない!」として、慶長時代(豊臣政権末期から江戸時代の初期の初期)の水準まで金銀の含有量を高めるべく、新たに正徳金を鋳造したのでした。しかし、日本国内は平和で経済規模が拡大していっているわけですから、それに見合った「量」の通貨供給が必要でしたので、この政策は長く続きませんでした。
教科書では「悪質の貨幣」と言っていますが、もちろん金銀の含有量という意味では悪質なんですが、なんというかちょっと恣意性の感じる表現ですよね。