溥儀(ふぎ)は、清の第12代にして最後の皇帝でした。元号から清の皇帝としては宣統帝と呼ばれます。1912年に辛亥革命で退位後も北京の紫禁城に留まり、それまでと変わらない暮らしが許されていましたが、1924年の北京政変で紫禁城を追われてしまいます。イギリスやオランダの公館に庇護を求めましたが拒否されてしまい、天津の日本租界で日本公館の庇護を受けました。これ以降の縁で、満洲事変以降関東軍の主導で建国された満洲国の執政に就任。その後、満州国が帝政に移行すると満洲国の皇帝として即位しました。満洲国皇帝としては元号から康徳帝と称されることもあります。第二次世界大戦において日本が敗戦すると、ソビエト連邦軍の侵略を受けた満洲帝国の解散とともに退位。航空機で日本に脱出しようとしましたが、ソ連軍の捕虜となって中華人民共和国に引き渡されました。1959年の遼寧省撫順戦犯管理所からの釈放後の1960年2月から1961年3月まで中国共産党の周恩来の指示により、一般市民にとしての生活に慣れるための「労働鍛錬」として北京植物園に庭師として勤務しました。その後、政協文史研究委員会専門委員に就任し、さらに晩年の1964年には、満洲民族の代表として政協全国委員に選出され、北京で生涯を終えました。