秋月の乱(あきづきのらん)は、1876年(明治9年)に福岡県秋月(現・福岡県朝倉市秋月)で起こった、明治政府に対する士族反乱の一つです。熊本県で起こった神風連の乱に呼応して、旧秋月藩の士族ら約400名によって起こされました。神風連の乱から3日後の10月27日、「秋月党」が挙兵、まず明元寺で説得にあたった福岡県警察官穂波半太郎を殺害(福岡県警初の殉職者)。旧秋月藩の士族はあらかじめ旧豊津藩の士族らと同時決起を約束していたため、このあと豊津へと向かい、10月29日に到着します。しかしこのとき旧豊津藩士族は決起しない方針を固め、豊津側からの連絡を受けて到着した乃木希典率いる明治政府軍が秋月党を攻撃。秋月側は死者17名(政府軍の死者2名)を出して退却。10月31日に秋月党は解散し、首謀者の一部は自刃。その他逃亡者らも11月中には逮捕されました。12月3日に福岡臨時裁判所で関係者の判決が言い渡され、首謀者とされた2名は即日斬首。約150名には懲役などの懲罰が下されました。
ざっくり用語解説
秋月の乱
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