1937年7月7日の盧溝橋事件以降の、日中戦争を契機に、第1次近衛内閣は女性や子供など非戦闘員を含む国民全員の戦意を昂揚させ、戦争遂行に協力させようとの目的で、同年8月24日、「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」の三つのスローガンを掲げた「国民精神総動員実施要綱」を閣議決定しました。のち、太平洋戦争に際しては「ぜいたくは敵だ!」とか「欲しがりません。勝つまでは」の標語も掲げられるようになりました。
日本の国際的孤立と2つの戦争|日中戦争・太平洋戦争日本は第一次世界大戦後の戦後不況から経済的苦境に陥り、世界恐慌によってますます困窮の度合いを深めます。日本は大陸への進出を加速させることによって、経済的な苦難を乗り越えようとしました。 しかし、大陸への進出は中国との武力衝突へと発展し、国際的な孤立が深まっていくことになります。日中戦争から太平洋戦争へと発展した日本の戦争は、最終的に敗北を喫してしまいます。 日本の孤立と日中戦争 第二次世界大戦と日本の対応 太平洋戦争の始まりと戦争の終結 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。 14.第二次世界大戦 #33