尾形光琳(おがた こうりん)は、江戸時代中期を代表する画家、工芸家。元々、京都の呉服商「雁金屋」の次男として生まれ、主に京都の富裕な町衆を顧客とし、王朝時代の古典を学びつつ、明快で装飾的な作品を残しました。その非凡な意匠感覚は「光琳模様」という言葉を生み、現代に至るまで日本の絵画、工芸、意匠などに大きな影響を与えました。
画風は大和絵風を基調にしつつ、晩年には水墨画の作品もあります。大画面の屏風のほか、香包、扇面、団扇などの小品も手掛け、手描きの小袖、蒔絵などの作品も残しています。また、実弟の尾形乾山の作った陶器に光琳が絵付けをするなど、その制作活動は多岐にわたったのです。
尾形光琳は、放埓で無責任な性格ながら、貴族的・高踏的また都会的な芸術家としてのプライドを持ち、40代になって画業に身を入れ始めたのは経済的困窮と、恋人たちや妻への見栄が一因であったと考えられています。俗っぽい人だったのでしょう。形態による音楽を明確に意識した大画面の装飾的な屏風絵を得意とし、瀟洒な水墨画まで作風は多彩ですが、どの作品にも都市的な感覚と意匠があふれています。
絵を描ける平面であれば紙・絹・板・着物・硯箱・焼き物など何でも自身の領分であると考えていたようで、彼独特の雅かつ明快なセンスが発揮されたものが多く残されています。弟の尾形乾山も「兄は何を描いてもそれが即模様になっている」と感嘆の言葉を残しています。