ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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“日本”と称した

日本がいつから「日本」を国号として使い始めたのかについては、諸説あります。

最初の確実なものとしては、一般的には701年の大宝に記された事例があります。720年に完成した『日本書紀』では645年8月の条に、高句麗や百済の使者に示した詔に「日本天皇」の文言が出てきます。

他国の記録によれば、有名な中国『書』の607年に「日出づる処の天子」の記述。また、朝鮮半島の史書においては『三国史記』(12世紀に編纂)「新羅本紀」の671年1月に、「倭国、号を日本に更む。自ら言う、日出づるに近きを以て名を為す」という記載があります。

その他、飛鳥池遺跡出土の天武6年(677年)銘の木簡から、この頃「天皇」号が既に使用されていることが分かっています。「天皇」号の使用と「日本」号の使用は同時期とみられています。さらに2011年7月になって、百済人武将の墓誌に「日本」の文字が見つかったという論文が中国で発表されています。この墓誌は678年制作と考えられており、事実なら日本という国号が記された最も古い例となります。

まとめると、「日本」や「天皇」という言葉は、天武天皇の時代から本格的に使用されるようになり、最終的に大宝律令にて明記されたと考えられるでしょう。

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