一遍は、学問や理論ではなく、「念仏をとなえて極楽浄土へ往生する」という仏教的実践、つまり余計な考えは捨て、「南無阿弥陀仏」と声を出してとなえることを人々に勧めます。
「一切衆生の往生は、阿弥陀仏によってすでに決定されており、仏教を信じれば、極楽浄土へ行ける喜びが踊りや歓喜となって現れるだろう」ということで、「俺もお前も、みんな極楽浄土に行けるんだぜぃ~」という喜びの爆発が踊りとして表れているって考えですね。これを倒置的に、踊りながら念仏唱えているなんて、もうそれって、救われているってことじゃないか~ということで、みんな踊り狂いながら、南無阿弥陀仏を唱えたわけです。
さらに一遍は、日蓮宗が唱える「南無妙法蓮華経」でも「南無阿弥陀仏」と同じ功徳があるとも言っています。非常に柔軟性に富んでいたんですね。「こまけぇことはいいんだよ!踊ろうぜ!」って感じですね。陽キャのパリピ。