宮崎安貞(みやざき やすさだ)は、江戸時代前期の農学者で、『農業全書』を著しました。もともとは、筑前福岡藩黒田氏に山林奉行として仕えていましたが、30歳を過ぎて職を辞します。自分の知行地に隠居し、農耕のかたわら農業技術の改良に努めます。さらに諸国(山陽道・畿内・丹波・吉野・伊勢・紀伊)をめぐって老農の話を聞き取りをしました。さらに、1661年(寛文元)39歳の時、京都にいた同藩の儒学者貝原益軒などとも交流し中国の農業に関する書物や本草書の研究も進めました。
実務と研究を重ね、中国の最新の農書『農政全書』(徐光啓、明代1639年刊)を参考にしながら、1695年(元禄8年)73歳で稿を成し、1697年(元禄9年)『農業全書』を京都で出版したのです。そして、 同年の7月23日に死去。