沖縄戦(おきなわせん)とは、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)、沖縄諸島に上陸した米軍と英軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いの総称です。連合軍側の作戦名はアイスバーグ作戦(英: Operation Iceberg、氷山作戦)。沖縄戦は1945年3月26日から始まり、主な戦闘は沖縄本島で行われ、組織的な戦闘は4月2日に開始、6月23日に終了しました。
沖縄での両軍および民間人を合わせた地上戦中の戦没者は20万人とされています。
その内訳は、沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表によると、
日本側の死者・行方不明者は188,136人。
沖縄県外出身の正規兵が65,908人
沖縄県出身者が122,228人(そのうち94,000人が民間人)
戦前の沖縄県の人口は約49万人ですので、実に沖縄県民の約4人に1人が沖縄戦の犠牲になりました。とんでもない数字です。
一方のアメリカ軍側も、死者・行方不明者20,195人に上りました。じつは、これは1944年12月に戦われた、西部戦線最大の激戦の1つであるバルジの戦いの戦死者最大約19,000人を上回る損害が発生したのです。戦傷者も最大で55,162人にのぼり、戦闘外傷病者26,211人を加えた人的損失は実に投入兵力の39%という高水準に達しました。そのため、トルーマン大統領らアメリカの戦争指導者たちは大きな衝撃を受けました。