富士川の戦い(ふじかわのたたかい)は、平安時代後期の治承4年10月20日(ユリウス暦1180年11月9日、グレゴリオ暦16日)に駿河国富士川で源頼朝の軍勢と平維盛の軍勢が戦った合戦。頼朝は、伊豆の石橋山の戦いで敗れましたが、その後、関東に逃れて再挙。鎌倉に拠点を構えると一大勢力となりました。見過ごすことのできない平氏は、清盛の嫡男重盛(当時すでに死去)の長男である平維盛を大将として、頼朝討伐の軍を率いてきました。富士川を挟んで両軍対峙の状態となりましたが、平氏の軍勢は突如撤退。大規模な戦闘はないまま終結しました。これにより、頼朝の勢力は南関東において盤石となりました。
ちなみにこの戦いにあたっては、夜襲をしかけようとした源氏の軍勢が富士川を渡ろうとしたら、水鳥がいっせいに飛び立ち、その音にビビり散らかした平氏のお上品な人たちが泡食って遁走したという逸話があります。異説はあるものの、平氏が軟弱化したことの象徴として捉えれています。