薪水給与令(しんすいきゅうよれい)とは、江戸時代後期に出された幕府の法令で、外国船に対して飲料水・燃料の給与を認めるものです。幕府の外国船に対する対応は、文化3年(1806年)に「文化の薪水給与令」を出し、穏便に出国させるようにしていました。しかし、フェートン号事件や無断上陸事件などが相次いだ後、文政8年(1825年)には異国船打払令を打ち出し強硬策に転じました。しかし、1837年のモリソン号事件を契機に批判が高まった上に、天保11年(1840年)のアヘン戦争における清の劣勢に驚愕した江戸幕府は、政策を転換し、天保13年(1842年)には遭難した船に限り飲料水・燃料(薪水)の給与を認める「天保の薪水給与令」を発令したのでした。ビビったわけですね。
ざっくり用語解説
薪水給与令
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