祇園祭(ぎおんまつり)は、八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」と呼ばれていました。貞観年間(9世紀)から続く京都の夏の風物詩です。
疫病の流行によって、朝廷は863年(貞観5年)、神泉苑で初の御霊会(ごりょうえ)を行っていましたが、864年には富士山大噴火、869年には陸奥で貞観地震・津波などがあり、社会不安が深刻化する中、全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、神輿3基を送り薬師如来を本地とする牛頭天王を祀り御霊会を執り行ったことが祇園祭の起源とされています。2019年(令和元年)には祭の1150周年が祝われました。
この祇園祭は、応仁の乱以降33年間、中断されていましたが、1500年(明応9年)に再興されました。
これは明応年間に打ち続いた災異、特に1498年(明応7年)の東海大地震・大津波による列島規模の大災害の発生が祭礼の復興を後押ししたものと見られています。復興にあたって室町幕府奉行衆の松田豊前守頼亮が過去の山鉾について「古老の者」から聞き取りを行い、応仁の乱以前の60基(前祭32基、後祭28基)の山鉾を知る唯一の史料とされている「祇園会山鉾事」(八坂神社文書)として書きとめたほか、初めてのくじ取り式を頼亮私宅で行い、町人主体の祭りとなるよう祇園執行に申し聞かせるなど、祇園祭の再興に尽力し、現在に続く山鉾の数と名称が固定しました。