加藤弘之(かとう ひろゆき)は、明治時代の政治学者、教育者です。学門一筋で精進して幕臣となり、維新後は明治新政府に仕えました。旧東京大学法・理・文3学部の綜理を務め、のち帝国大学(現・東京大学)第2代総長を務めました。
1861年(文久元年)に日本で初めて「立憲政体(上下分権の政体)」に関して執筆。こちらは公表されませんでしたが、同僚の西周や津田真道に読まれて、彼らに大きな影響を与えました。
また、1868年(明治元年)には『立憲政体略』を著わし、この中では「人和がなければ兵器があっても外敵を防げず、人和のためには立憲政体(上下同治、君民同治)が必要」であることを示し、明治初年における政府内で、すでに将来の立憲政体樹立のコンセンサスが形成されていたことは、加藤の多大な貢献によるものと言えます。
維新後はじめは天賦人権説に拠った啓蒙思想の傾向が強く、1873年(明治6年)には福澤諭吉、森有礼、西周らとともに明六社を結成、啓蒙活動を展開しました。しかし後には社会進化論の立場から民権思想を批判するようになりました。