山本権兵衛(やまもと ごんべえ / やまもと ごんのひょうえ)は、海軍軍人、政治家です。海軍大臣(第5代)、内閣総理大臣(第16・22代)、外務大臣(第35代)などを歴任しました。
薩摩藩士の息子として生まれ、戊辰戦争に従軍した後、海軍畑を歩みます。日清戦争では実質的に海軍の機務・実務を取り仕切って「権兵衛大臣」と呼ばれました。その後、第2次山県有朋内閣にて海軍大臣として入閣して以降、第4次伊藤博文内閣、第1次桂太郎内閣でも海軍大臣を務め、日露戦争の難局を突破しました。
ちなみに日露戦争の開戦直前には東郷平八郎を連合艦隊司令長官に任命しました。これは、それまでの人事慣例を破るものと批判されましたが、人事権は海軍大臣にあると断行。明治天皇から東郷を選んだ理由を尋ねられると「東郷は運の良い男でありますので」と答えたという逸話が残っています。
1913年の第一次護憲運動からの大正政変の後、立憲政友会と手を結んで組閣。第16代内閣総理大臣に就任し、軍部大臣現役武官制の廃止などの改革にあたりましたが、翌1914年にはシーメンス事件が発覚して引責辞任。1923年に再度組閣し、第22代内閣総理大臣に就任しましたが、同年中に虎ノ門事件で引責辞任しました。
総理大臣になると、山本権兵衛は東郷と違って運の悪い男だったようです。