チェコスロヴァキアの一部であったズデーテン地方は、チェコ北部一帯にあたり、ドイツと国境を接していて、ドイツ人居住者が多かったところです。第一次世界大戦後に成立したチェコスロヴァキア共和国に編入されていましたが、1930年代にドイツにヒトラーが登場し、ナチ党が活動するようになると、それに呼応するズデーテン=ドイツ人党が「民族自決」を口実に、ドイツとの統合を主張するようになりました。こういった流れから、ヒトラーが併合を要求。1938年に、ミュンヘン会談で英仏がヒトラーによる併合を容認したため、ドイツに割譲されました。英仏は「これでヒトラーの領土欲も収まり、戦争は回避できるだろう」と目論んだわけです。
しかし、ヒトラーの領土的野心はとまらず1939年にはチェコをドイツの保護領として直接支配し、チェコスロヴァキア解体という結果となり、独ソは不可侵条約を結んで、1939年9月1日はポーランドに侵攻し、第二次世界大戦の火蓋が切って落とされていくのでした。