革新倶楽部(かくしんくらぶ)は、大正時代の政党で、1922年11月8日、立憲国民党を解党した犬養毅、尾崎行雄らを中心に46名で結成されました。第二次護憲運動では、立憲政友会、憲政会と護憲三派を組んで、清浦奎吾内閣を打倒しました。第15回衆議院議員総選挙後、成立した加藤高明を首班とする護憲三派内閣(加藤高明内閣)では与党の一角となり、犬養毅は逓信大臣として入閣させます。しかし、この時の総選挙で立憲政友会と憲政会の間で埋没した形となった革新倶楽部は議席を43から30に大幅に減らした事から、両党への不信感や党の将来に対する不安を抱く議員も現れるようになり、革新倶楽部は1925年5月10日に解散。犬養毅とその系統の人物らは立憲政友会に合流しました。